定価2,420円(本体2,200円)
発売日2018年12月20日
ISBN978-4-7917-7129-5
中立的なものこそ政治的である。
なぜ文書は改ざんされたのか。なぜ官僚は忖度するのか。官僚制をめぐる問題とその背景を、たんなる時事問題としてではなく、日本の空気や感情論としてでもなく、政治学の問いとして考える。ウェーバー、シュミット、アーレント、キルヒハイマー、ハーバーマス、グレーバーを深く「読み」、いま「使う」ために。
【目次】
序章 今日の文脈
I 文書主義
第一章 官僚制と文書――バルザック・ウェーバー・グレーバー
1 バルザックの風刺
2 ウェーバーとパーソナルな権力の排除
3 グレーバーとペイパーワークの権力
4 文書主義のアポリア
II 「決められない政治」とカリスマ
第二章 脱官僚と決定の負荷――政治的ロマン主義をめぐる考察
1 民主党政権
2 官僚制批判のロマン主義的ルーツとその問題
3 官僚制批判と信条倫理の親和性
4 友愛と「決断の留保」
5 「反動」の前に
第三章 「決められない政治」についての考察――カール・シュミット『政治的ロマン主義』への注釈
1 「決められない政治」
2 ロマン主義と浮遊する自己
3 自由主義批判
4 ウェーバーの影
5 シュミットの立場
6 「決めてほしい」願望とカリスマへの期待のなかで
第四章 カリスマと官僚制――マックス・ウェーバーの政治理論へのイントロダクション
1 サッチャー以降
2 価値の多元性と支配のレジティマシー
3 官僚制化の文脈
4 カリスマの来歴
5 政治の忌避とカリスマの変容
III 合理性とアイヒマン
第五章 合理性と悪
1 悪としての非合理性――「戦後啓蒙」
2 「悪の陳腐さ」――ハンナ・アーレント
3 悪としての「閉じること」――マックス・ウェーバーの合理性論
第六章 フォン・トロッタの映画『ハンナ・アーレント』――ドイツの文脈
1 一九六三年
2 フォン・トロッタ監督の眼差し
3 ドイツの政治的地図におけるアーレント
4 「傘なしに雨風にさらされるように」
第七章 五〇年後の『エルサレムのアイヒマン』――ベッティーナ・シュタングネトとアイヒマン研究の現在
1 エルサレム以前のアイヒマン
2 問われるアイヒマン評価
3 シュタングネトの立場
4 タバコの煙のように
IV 動員と「なんちゃらファースト」
第八章 テクノクラシーと参加の変容
1 時代性と意味の変容
2 参加と動員
3 六〇年代後半における市民参加の文脈
4 一九九〇年代以降の文脈の変化
5 「よそ者」の参加
第九章 「なんちゃらファースト」と悪
1 「なんちゃらファースト」の二つの問題
2 マックス・ウェーバーの合理性論と悪の問題
3 大塚久雄と「前期的資本」
V キャッチ・オール・パーティと忖度
第一〇章 官邸主導のテクノクラシー――キルヒハイマーの「キャッチ・オール・パーティ」再論
1 二〇一四年一二月総選挙
2 シュミットの『合法性と正当性』
3 キルヒハイマーによるもうひとつの「合法性とレジティマシー」
4 「レジティマシーの危機」と官僚制の支配――キルヒハイマーからハーバーマスへ
5 官僚なきテクノクラートの政権
6 政党政治のために
第一一章 忖度の政治学――アカウンタビリティの陥穽
1 アカウンタビリティと行政の側の事情
2 官僚の責任と政治化の責任
3 「忖度」の広がり
終章 中立的なものこそ政治的である
あとがき
参考文献
索引
[著者] 野口雅弘(のぐち・まさひろ)
1969年生まれ。早稲田大学大学院政治学研究科博士課程単位取得退学。哲学博士(ボン大学)。成蹊大学教授。専門は、政治学・政治思想史。著書に『闘争と文化――マックス・ウェーバーの文化社会学と政治理論』(みすず書房)、『官僚制批判の論理と心理――デモクラシーの友と敵』(中公新書)、『比較のエートス――冷戦の終焉以後のマックス・ウェーバー』(法政大学出版局)、翻訳に、クラウス・オッフェ『アメリカの省察――トクヴィル・ウェーバー・アドルノ』(法政大学出版局)、マックス・ウェーバー『仕事としての学問 仕事としての政治』(講談社学術文庫)などがある。